2012年02月10日

Unknown
夜行列車に乗る度に聞く歌というのは特に決まっていない
Kate(iPodのこと)を聞いているから しかもシャッフルで

夜汽車が歌詞にでてくる曲として印象に残っているのは甲斐バンド「安奈」と太田裕美「木綿のハンカチーフ」
木綿のハンカチーフは、夜汽車ではなかったか
どちらの曲も、行き先は東京だとは決まっていなかったと思うが、北へ向かうとか東へ向かうという設定だった

ヨタヲさん推薦のチューリップ
福岡出身の私は無論好きだ

好きな曲は「ブルースカイ」 
小学6年の頃、地元のラジオ局のヒットチャート番組でいつもかかっていた
曲のタイトルは明るいのに、曲の中身はどこかしっとりしている 財津和夫(一郎ではない)のドライな声が
いい

で「博多っ子純情」
中学の頃文通していた女の子が、博多生まれなんだけど、父親が転勤族で全国を転々としていた
その女の子は、中学までは博多で育ったので、転勤した先で「博多っ子純情」を聞くと涙が出ると言っていた 

同じ福岡でも、私の生まれた北九州をテーマにした曲ってのはあまりない気がする
無法松の一生くらいかな
あまり絵になる風景がないからか 博多に比べれば少ないのかも

博多っ子純情を聴く度に、北九出身の私は何となく博多が羨ましかった

数年前まで、NHKで夏に、博多山傘の実況中継をやっていた
私は生で博多山傘を見たことはないが、毎年この中継は見ていた 羨ましかった

10年ほど前に、当時の職場の連中と九州出張したことがある 宿泊地は博多
あの時に皆で食べた水炊きとウナギのせいろの味は忘れられない 
楽しかったねぇヨ○ヲさん




(21:25)
Unknown
大学時代はマイナーなスポーツをやっていた
その種目では、インカレに出場するためには応募さえすればよかった 今はどうか知れないけど
普通は応募だけでいいんだろうか 予選とかはないのか

で、揃いも揃って金のない学生の集まりだった我が部
インカレが奈良で開催されることになり、試合のための移動は急行「銀河」を使った
新幹線を使うとかいう選択肢はなし バスも今ほどメジャーではなかった

急行銀河
シーズンオフだったんで、さほど混んでいなかったのは幸いだった

鉄道が好きな私でもさすがにきつかった
蚕棚であっても、カーテンを仕切れば個室になる寝台とは違い、座席のまま
眠れるわけがない 体が横にならないんだから

ちなみにインカレは、初戦で大敗

帰路はどうしたかと言うと、またもや急行「銀河」の旅
しかも、京都かどっかで購入した安いお土産を、頭上の網棚に乗せておいてウトウトしていた
ようやく東京に着いて、お土産を取り出そうとしたら、ない

どう見たって貧乏学生にしか見えない私のお土産と思わしきものを、網棚からクスねる鬼のような
輩がいるということが、よくわかった 世知辛いものだ

ちなみにこのブログは鉄専門ではないつもりだが、たまたま私の気分で最近Feネタが多くなっている
全国推定三名の読者の中には、つまらぬと感じる方もいようが、しばらくお付き合いを


(20:49)

2012年02月09日

h02b-11
昔北国に住んでいた頃
東京に出張した帰りに、大学時代の舎弟たちと上野で痛飲して、上野22時過ぎ発車の
ブルートレインで北国に戻ったことがある

舎弟たちはブルートレインが珍しかったらしく、私を上野駅のホームで見送ると言って
ホームまで来たが、酔いも手伝ってみんなはしゃいでいた

22時過ぎに、ブルートレインが電気機関車に引かれて入線してきた
それを見て、それまで騒いでいた舎弟たちが息を飲んだ

ブルートレインには違いないが、老朽化により塗装は至るところで剝げ、サビで塗装が
盛り上がっている部分もある 
これに乗って、北へ帰るんですかと涙ぐむ輩もいた おっとこれは冗談

確かに、ホームに舎弟が見送りに来ていなければ、一人っきりで寂しさのあまり
首を吊っていたかも知れない おっとこれも冗談

ブルセラじゃなかった、ブルトレに乗ると興奮してあまり寝られない
振動が激しくて寝られないのではない
夜中も目が頻繁に覚めて、カーテンの影から外を覗くと、白河あたりだったり、一ノ関だったり
盛岡だったりする 次第に雪も深くなってくる うらぶれた気分が増してくる
盛岡よりもさらに北にある駅で、在来線に乗り替える

乗り替えて1時間もすると、住んでいた地域を象徴する山が見えてくる
不思議なもので、帰ってきたんだという安心感が広がってくる 九州生まれのこの私が

今はこのブルートレインも廃止となってしまった
目的地に早く着くことだけが目的になってしまったんだろうか

何てことを言っても、遠吠えにしかならないんだろう



(21:46)

2012年02月08日

Unknown
高校生の時に、友人と金沢まで鈍行で行った旅
今は亡き、門司発福知山行きの山陰本線を使った
当時の鈍行最長路線だったと思う

この旅の苦い思い出は、当ブログ「トラウマ」に書いてあったりする
大した内容ではもちろんないが



(21:11)
48abeb9d.jpg

昔、埼玉で勤務していたことがある 最寄りは浦和駅
退社が遅くなって、浦和駅のホームで夜11時頃に上り列車を待っていると、当時の急行「能登」が
下りホームに現れることがあった 
ボンネット型の特急車両 489系だったか 

私は西日本出身なんで、北陸へ向かう列車には、あまり郷愁を抱かないタイプなんだが
あのボンネット型は別 むしょうに郷愁を誘った

鉄道好きの同僚とは、いつか俺たちの急行能登に乗って金沢まで行って、 また能登で戻って来る旅がしたいなと小さな妄想を語り合ったものだ 
もちろんダイヤ改正の度に急行能登が廃止になるんじゃないかとビクビクしていた

案の定廃止になってしまった

廃止と言えば、東京から九州へ向かうブルートレインも廃止になって久しい
私は、いまだに「はやぶさ」の名称を東北新幹線に用いるのには複雑な感情を持っている

小学校低学年の時、関東地方に住んでいた私はたまに、九州へ帰省する際にブルートレインを使用していた
父親が鉄道好きだったのかも知れない 単なる金銭的な問題かも知れない

好きだったのは、夜中に車窓にうつる、見知らぬ土地の駅を見ること
そして、早朝に徳山付近を通過する際に目にするコンビナート工場の美しさ まだライトアップがされていて、きれいだった
今は、「工場萌え」なんて趣味の輩がいるようだが、私はその先駆者だったのかも知れない

あと、関門トンネルをEF30でくぐり、門司駅に着くときが好きだった
九州に帰って来たんだという実感
門司駅から門司港駅まで引き返すのだが、門司駅のホームで食べる「かしわうどん」の味はいまだに忘れ
られない

鉄道はいい




(21:05)