2013年10月27日

Unknown
私は修羅の国福岡の生れ
会社の同期入社で、宮崎出身の奴がいる

私には妹がいて、博多の大学に行ったのだが、彼女の友人にも宮崎出身の人がいたらしい
英語の時間にその友人が英文を朗読すると、妹曰く「英語も宮崎訛り」だそうだ
失礼な話である 「いっちょん わからん」状態だろう

で、宮崎出身の私の同期だが、帰省して東京方面に戻ってくる時は博多から新幹線に乗るらしい
航空機なんか、金がかかるので乗れないという訳だ
当然、金を浮かせるために指定席などつかわない

では乗車率100%以上の自由席で6時間も立ったまま耐えるのか?
 猛者ともなると、そんなことはしない

自由席に行ってからすぐに、猛者は今は亡きビュッフェに向かう
新幹線が関門海峡をくぐる前に、軽食とともにビールを注文
で、いつ混乱の自由席に 戻るかというと、何と東京駅に着いてから

6時間以上の間ビールを何杯おかわりするのかは知らないが、よくもまぁビュッフェから追い出されないものだ
J○東海は慈悲の心に満ちている




 

(20:52)
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新聞の思ひ出である
読む方の新聞でなく、新聞づくりについて

中学の頃だから、もう30年ほど前のこと
文化祭の行事で、各クラスごとに壁新聞をつくって内容を競うというものだった

記事の内容は憶えていないが、恐らく内輪受けしかしないような内容だっただろう
新聞の編集の仕方なんて誰も知らないので、白い紙に適当にコマ割をして、その枠内に書けるだけ記事を
書くようなものだったはず

で、作業は教室の前にいくつか机を並べた上で行っていた
なんとか余白も埋まり、形になってきた
で、私も何か書くことになって、確か水性ボールペンで書こうとしたが、インクが掠れてうまく書けない
「ありゃ 詰まっとるんかのぅ」と思い、ペンを渾身の力を込めて振ってみた

機銃掃射のように、おびただしいインクが飛び出て来て、新聞の用紙を汚してしまった
何がおこったのか、一瞬理解できなかったが、周囲から「あ~あ」との悲鳴が聞こえてきた
確か締め切りは翌日だったはず
飛び散ったインクは、修正液で消せるような量ではなく、そもそも修正液なんてなかった

すっかり意気消沈した私は、数人の友人と共に、隣のクラスの担任の所へ謝罪にいった
女の先生だったが、ときどきキレて、ある時は授業で使う木製のコンパスで男子生徒のももを殴打して、
コンパスが木端微塵になったという伝説があった
あと、学年で誰と誰がつき合っているかということを、やけに詳しく聴き回ったりしていた

先生にはインクの機銃掃射によって汚れてしまった新聞紙を見せ、代わりの用紙をもらおうと思っていた
先生は「う~ん どうしようかねぇ」と絶句
そうこうしているうちに、私は泣きだしてしまった
中2の男子がである

先生は、まぁ「○○くんの涙に免じてかわりの紙をあげよう でも締め切りは明日やけんね」と言ってくれた
その後、教室に戻って急いで枠づくりだけを済ませ、放課後は私の自宅に友人が集まって残りの作業を
してくれた
何か、お菓子ばかり食べていて、ちっとも作業は進まなかった思い出がある
「ま、いいっかこんなもんで」てな具合で

クラスは2年生は3クラスまでだった
審査の結果わがクラスの新聞は3位入賞を果たした

ただそれだけの話をふと思い出した次第


 

(13:54)

2013年10月24日


 ロスである アメリカのロサンゼルスである
もう20年近く前のこと
学生時代の友人がロスに留学していた

その友人を訪ねて、妻とロスに遊びに行った 格安チケットを始め宿泊images
場所の手配は全部友人がやってくれた
ロスに着いたのは夕方 友人が空港まで迎えに来てくれた
空港の到着ロビーで、日本人の小団体と一緒だった
会話はしていないが、そのうちの初老の女性が一言「あぁ いっちょん 眠れんやった」
まさかロスで、博多弁を耳にするとは
「ちっとも眠れなかった」という意味である

ホテルにチェックインした後に三人で食事に行った

出てきたのは、大きさに目を疑うようなステーキ
で、 付け合わせが凄い 
マッシュルームなんだが、小さな丘のようだった てっきり3人でシェアするのかと思いきや1人前だった
私は貧乏性で、食べ物を残すのが嫌い
新婚旅行のツアーでも、私は絶対機内食を残さないと有名だった

肉はおいしかった 
大和魂を見せてやるとばかりに、目を白黒させてマッシュルームヒルズを攻略いした

が、ここで終わらない
デザートに出てきたのは、でかいチョコケーキ
一口食べただけで、あまりの甘さに、眉間に穴があくかと思った

ここでも思った
毎日とまではいかなくても、この程度の食事を平気で平らげる人たちに戦争を仕掛けてもかなわないと

で、本題はここから
友人と別れて、早めに寝ようとした時、妻の実家から国際電話がかかってきた
なんと、妻のおばあさんが亡くなったということだった

体調はよくはなかったが、急に悪化したようだった
妻はおばあちゃんっ子で、動揺が激しく、すぐにでも帰国したいと言い出し聞かなかった

翌朝友人に事情を話し、空港まで送ってもらった
航空会社は日本の会社ではなかったので、私がインチキ英語で交渉
係員は、昨日入国したお前がなぜ翌日帰国するのか? テロリストではないのか? と疑ってくる
私も語彙が不足してきて、説明が面倒なので「Her Mother died」と咄嗟にウソをついた
高圧的だった係員も「Oh...」と絶句し、チケットを手配してくれた

結局、離れ離れの席だったが、ロスを脱出した 一泊二日のロス
友達には申し訳ないことをした

喜劇はまだ続く

成田に着き、高速バスで妻の実家まで帰ることとしたが、バス発車時刻の深夜まで時間があった
二日ぶりに日本食を食べることとして、スーツケースをコインロッカーに預け食事に出かけた

何を食べたのか記憶にないが、コインロッカーに戻るとまさかの光景
なんと、コインロッカーの営業時間が終了しており、シャッターが下りていた
しかたないので、妻だけをバスに乗せ、私はビジネスホテルで一泊
翌朝ロッカーの営業が始まるのを待って、スーツケース2つを持って新幹線に乗った
なんでこの人はスーツケースを2個ももっているのか、周囲は不思議だっただろう

さんざんな旅となった
ロスには行きたいとはもう思わない
 

(20:09)

2013年10月23日

昔住んでいた所からは、嫌いなクルマを走らせて2時間程のところにショッピングセンターがあった
2か月に一度ぐらいは行っていたように思う

そのショッピングセンターの近くには、外国の軍隊の基地があった
ショッピングセンターには、有名なファストフードの店があった
土地柄か、ドリンクなんかは盛りが多かった
その店に行くと、基地の兵士の子供たちが親と一緒にファストフードを食べている
日常的な光景である

違うのは、コーラなんかのドリンクのサイズが異様にでかいのと、ポテトなんかは
バケツに盛ってあるんじゃないかと思う位の量だったこと

無邪気な子供達は、平気でそれらを消化していた

つくづく思った
こいつらと戦争したって勝てるわけがない・・・

こんなことを思ったのは、今日通勤中に聞いた曲のせい
ZZTOP だ

思い切り偏見が入っていると思うが
私の考える典型的アメリカンというのは、テンガロンハットを被り、ジーンズにブーツを履き、
朝からバケツ入りのビールを飲み、つまみにやはりバケツ入りのポップコーンを頬張るというイメージである
たまにポップコーンの代わりにステーキを食したりする

で食事に飽きたら、ガレージから自慢のホットロッドを取り出して飲酒運転を繰り返すと
う~ん アメリカン 

そう言えば、北の国に暮らしていた時に、先輩でキャンプをすると必ずテンガロンハットを被って来る人
がいたな

お元気だろうか
ZZTOPのビデオクリップに出てくる、腰の位置で回転するギターとベースが大好きである


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(20:15)

2013年10月19日

Unknown
前にも書いたが、私は行列が苦手
世が世なら、行列を拒否して飢え死にしていただろう
行列に並んで旨いものを食べようとか、珍しいものを手に入れようとは滅多に 思わない

今日は、とあるイベントに参加した
食べ物中心のイベント 物産展みたいなもの
そこで、お目当ての物品にプチ行列ができていた
15分くらいか 所要時間推定は

普段だったら間違いなくスルーする行列だったが、今回はグっと我慢
以前住んでいた北の国の物産展だったので
結局、10分程度で目的達成

今回に限らず、たまに行列に並ぶ時は(並ぶのかっっ)、どういう理由だか、行列を横切って通過しようと
する人はまず私の前を横切ってゆく
別に横入りするんではないんで、腹は立たないが

まるでパナマ運河かスエズ運河を横切るように、私の目の前を横切っていく
この長い行列(大陸)の中で、ここが通過点だということをかぎ分けているんだろう としか思えない

まぁ、私が行列の前の人と間隔をとって並ぶクセがあるからなんだろうが
横切っていく人もそれぞれで、会釈をする人、さも当然のように通過する人(当然なんだが)
いろいろいる

行列とは関係ないが、街角で、宗教団体の人に声をかけられることも多い
一度は、勝手に頭上に手をかざされたことがある
「あなたのためにお祈りさせて下さい」だと

ちなみに、ご利益らしきものは感じたことがない
私が慈悲に溢れた仏のような顔をしているというのだろうか
合掌



 

(20:40)