2012年02月10日

Unknown
大学時代はマイナーなスポーツをやっていた
その種目では、インカレに出場するためには応募さえすればよかった 今はどうか知れないけど
普通は応募だけでいいんだろうか 予選とかはないのか

で、揃いも揃って金のない学生の集まりだった我が部
インカレが奈良で開催されることになり、試合のための移動は急行「銀河」を使った
新幹線を使うとかいう選択肢はなし バスも今ほどメジャーではなかった

急行銀河
シーズンオフだったんで、さほど混んでいなかったのは幸いだった

鉄道が好きな私でもさすがにきつかった
蚕棚であっても、カーテンを仕切れば個室になる寝台とは違い、座席のまま
眠れるわけがない 体が横にならないんだから

ちなみにインカレは、初戦で大敗

帰路はどうしたかと言うと、またもや急行「銀河」の旅
しかも、京都かどっかで購入した安いお土産を、頭上の網棚に乗せておいてウトウトしていた
ようやく東京に着いて、お土産を取り出そうとしたら、ない

どう見たって貧乏学生にしか見えない私のお土産と思わしきものを、網棚からクスねる鬼のような
輩がいるということが、よくわかった 世知辛いものだ

ちなみにこのブログは鉄専門ではないつもりだが、たまたま私の気分で最近Feネタが多くなっている
全国推定三名の読者の中には、つまらぬと感じる方もいようが、しばらくお付き合いを


(20:49)

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この記事へのコメント

1. Posted by ヨタヲ5    2012年02月11日 14:08
更にFe度が上がって恐縮だが、貴殿のいう銀河とは、通称大垣夜行といわれた東京駅2345発普通列車、列車番号345Mの事であろう。

熱海までは最終列車の役割も持っていたので酔い客で結構混んでおり、喧嘩が絶えなかった。

その大垣夜行も特急型車両となり、垂直椅子からリクライニングシートとサービス向上が図られたが、さらに楽で安い東名高速バスとの競争に敗れ、廃止されてしまった。

さて、真の急行銀河は大阪行20系寝台急行で、所謂ブルトレであった。
20系は初のブルトレとして登場した車両であったが、三段式52cm幅の蚕棚で、居住性は前の10系とそんなに変わらなかった。寝台特急が24系に置き換わっていく中、最後の仕事場が銀河だった。

今や両者とも天に召されてしまった。
アーメン

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