2012年04月25日

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自宅で、昔の写真を整理していて思い出した
もう十年も前になるが、とあるマラソン大会に出場し、脱水症状で昏倒したことがある
10キロマラソンの、約8キロ地点

このコースは、5キロ地点で折り返しで、帰りのコースはほぼ行きのコースと同じ道だが、
約8キロ地点で、行きにはなかったコースがある 盲腸みたいなもんだ
行きは緩やかな上りで、折り返し後は、逆に緩やかな下りになる

私は、その盲腸コースの途中で昏倒したようだ
昏倒する直前に、「あれ? こんなコースは行きにはあったっけ?」とずっと思っていた
盲腸コースなんで、行きにはある訳がない

マラソン当日はほぼ快晴 時期は5月で湿度が低かった
私は、元来腹が緩い 腹だけにチョー弱い
マラソンの途中で催してきたらどうしようという不安から、朝からほとんど水分を採らなかった

当日は湿度は低かったが、結構な汗をかいていたんだろう
脱水にはうってつけである
一緒にマラソンに出場した当時の同僚によれば、昏倒直前の私は道路の端から端まで蛇行し
ながら歩いていたそうだ

昏倒した瞬間は、どういうわけか、どこかの広場を歩いていて、飛んできた野球のボールが頭を
直撃したという夢を見ていた

次に気がついた瞬間は、隣町の病院へ搬送される救急車の中
意識はクリアで、呼びかけにも反応できるのだが、目が開けられなかった
救急隊員が、しきりに「ご自分の名前を言ってください」というので、明瞭に答えてやったら
「おぉ 大丈夫だ」と安堵の声が聞こえた
次の質問で、「あなたの出身地を言ってください」と来たので、正直に「福岡県北九州市です」
と答えたところ「やっぱ ダメだこりゃ」と来た

マラソン会場は、本州の北の方だったので、救急隊員は福岡出身の人がマラソンを走っていると
いうのが、にわかに信じられなかったのだろう
ずいぶん失礼な話である

後で聞いたのだが、昏倒した私の直後を走っていたのが、私が搬送された病院の外科の先生
昏倒した私の頭から、道路脇の田んぼで汲んだ農業用水をバシャバシャ浴びせてくれたらしい
少しは農業用水も飲んだのだろう オタマジャクシ入りの水だったか

病院に着いてからもまだ、目が開けられなかったが、救急隊員が「今着てるシャツを脱がせたいの
だが、カッターで切ってもいいですか?」と聞いてきた
その時に来ていたのは、大学時代の農学部のサッカーチームのユニフォーム
大事なものだったので、「カッターで切り裂くのは勘弁して」と抵抗した 目を開けられないまま

その後数時間点滴を受けたら、ウソのように回復した

自宅に戻ってから、「あの救急車の代金はあとから請求されるんだろうな いくら位するんだろう」
と家人に話したら、「請求が来る訳ないでしょう」と一喝された

山岳救助隊じゃないんだから、当然か 

今はもう10キロを走る体力はないが、ジョギングをする度に昏倒の思い出が蘇る 
若かったな あの頃は

(21:46)

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この記事へのコメント

1. Posted by ヨタヲ5    2012年04月29日 07:37
昏倒はしなかったが、転倒はしたな。

某北国の小学校のPTAリレーのアンカーに学年委員長として颯爽とバトンを受けて走り出したのは良いが、気持ちは前へ進むのだが、体がついて行かず、前につんのめって一回転、お約束なんだろうが、ちぃと恥ずかしかったな。

いまや100m走る気力もありませんのぅ。

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