北の国のできごと

2020年03月16日

無題もう15年程前の話

私は、当時の職場の同僚と、別会社の知り合いとでキャンプに出かけた
お父さんが3人、子供(小学生とそれ未満)が7人
キャンプと言っても、テントを張って宿泊する本格的なものではなく、野外(キャンプ場)で調理をする日帰りのもの

別会社の知り合いは、「キャンプ調理奉行」のような存在
とにかく形から入るタイプの人で、珍しい調理用具を持ってきて、得意気に料理をする
格好はいつもテンガロンハット(キャンプの時はいつもそう)
私と職場の同僚は、この奉行の共通の知人だったが、野外調理の時はいつもこの奉行が一人で何でもやってくれるので、楽だった

キャンプは、4月ぐらいだったか
奉行からメールが届き「俺が食材調達するけど、メインは山菜の天ぷらでいい?」と相談された
好き嫌いの確認だったが、問題なしですと返答した

いざキャンプが始まったところ、用意されていたのは夥しい量の山菜
「どうしたんですか?この山菜」と奉行(先輩)に尋ねると、奉行の勤務していた会社の裏山へ行って、クマに出会わないように注意して採集してきたらしい
ちなみに、業務時間中である

業務時間中に山菜を採っていてクマに遭遇して襲われてケガをしたとしたら、労災は適用となるんだろうか(ケガで済むか?)
あの奉行のこと、絶対に労災を認めさせそうだ

絶好の野外調理日和の中 山菜天ぷら三昧が始まった
タラの芽とか、ワラビやゼンマイ、コシアブラなど
山菜天ぷら三昧と言うのか、山菜地獄なのか

コシアブラの天ぷらなんか、本当においしかった

この奉行
もう10年以上お会いしていないが、お元気だろうか
毎年山菜の時期になると思い出す



(04:30)

2020年03月11日

無題拙ブログの開設以来3,333日となった

開設した年は東日本大震災のあった年
3,333日目が3.11だというのは感慨深い

当時私は単身赴任中で、暇つぶしと言うか精神衛生上ブログを始めた
始めた当時は、一週間に数回程度の投稿だった

まぁブログ開設以来の日数は放っておいても積み重なっていくのだが
ブログ開設以来の訪問者数は把握しているが、驚くほど数が少ないのでここでは書かない
私のブログ投稿数を開設以来の日数で割った数を仮に打率と呼ぶと、打率は7割7分

筆の乗った日は一日に複数回投稿したこともあったが、これは今はほとんどない
次の目標は打率としようか、開設以来の訪問者としようか
ま、開設4,444日目も無事でいることが目標かな
その日は私は〇歳か


(04:30)

2020年03月03日

無題私は、今までテレビの取材を三度受けたことがある

取材というのは大げさか 映像のみの放送が一回 映像付きインタビューが二回
一度目は大学時代
私の研究テーマに関連した特集番組が、某公共放送で企画され、私の担当教授がメインで話をして、実験風景として私が撮影された(私は無言)
因みに実験風景はまったくの出鱈目
画が撮れればそれでいいという、放送局の依頼だった

二度目は社会人になってから
仕事の風景ではなく、プライベートで職場有志で地元のあるスポーツ大会に出場したとき
取材に来ていた某地方局のインタビュアーとカメラマンがたまたま顔見知りだったからか
体育館での競技だったとは言え、真冬にノースリーブシャツを着ていた私のことをヘンなヤツと思ったのか

三度目はもう10年程前のこと
家族で、自宅近くの公共施設へ出かけた際に、取材に来ていた地元ケーブルテレビのインタビューを受けた
どういう理由でインタビューを受けたのか
わからない
テレビ映えすると判断されたのか 単に客がいなかったからか

インタビューされた際に、当然台本も何もなかったのだが、割とペラペラ喋ることができた
そう言えば、一度コミュニティFMの知人がやっている番組に招かれて一時間喋り倒したこともある
あの時も台本なしだったな

何と言うか、私という人間の才能が恐ろしい(冗談)

因みに、ラジオ番組を含めた四番組のギャラは放送局名入りのボールペン一本のみ
どこの局かは内緒
まぁ、取材じゃないんでギャラなんてないか


        


(04:30)

2020年02月18日

imagesあるきっかけで、その昔知人に連れられて行った飲み屋のことを思い出した

一次会が終わり、二次会は私の知っている店に是非という知人に連れられて、とある町のスナックのような店に入った
その店にはテーブル席と、カウンター席があり、カウンター席に座ったお客さんは一人でカラオケを歌い、テーブル席では尾根遺産が接客するというスタイル
別に変わったところはない
店内が妙に薄暗く、尾根遺産達は妙に化粧が濃かったりした(薄暗い店内でも化粧の濃さが目立った)
カウンター席のお客さんは一人であがた森魚の「赤色エレジー」を歌っていた

私たちはテーブル席に座った
知人は、カウンター席に私の上司と座り込んで何やら話している
テーブル席には私を含め男性が何名か座り、化粧の濃い目の尾根遺産がやはり数名座った


テーブルを挟んで私の正面に同僚が座っていたのだが、同僚の隣に尾根遺産が座り接客していた
この尾根遺産、化粧が濃いのかどうかわからなかった
なぜか
尾根遺産はマスクをしていたから
季節はたしか冬で、風邪対策なのかインフル対策なのか
で、その尾根遺産はずっと同僚の隣で咳込んでいる
それも結構激しく
インフルかよ
そんなに無理して接客してもらわなくてもいいのだが、尾根遺産は激しく咳込みながら席を立たない

この店にはそれほどお客さんが多くなかった
マスクの尾根遺産以外の人も何となくやさぐれた雰囲気が隠せない
知人は、この店のどういうところが気に入ったんだろう

後日、同僚と先日行ったその店のことを話した
同僚曰く「あぁ あの化け物屋敷ね なかなか凄い店だったね もう行くことはないと思うよ






(04:30)

2020年02月11日

無題私は現在自家用車を持っていない

最後にクルマを運転したのは、忘れもしない東日本大震災のあった日
私は、都内からだいぶ離れた職場で勤務していた
その日は、都内からお客さんがあり、お昼少し前に用事が終わり、業務車でお客さんを案内すべく私が運転者として、車庫まで業務車を運転しに行った
お客さんと上司は玄関前で寒い中業務車の到着を待っている

業務車のカギを持って、車庫に停めてあった車両に乗り込んだ
この車庫結構幅が狭いんでクルマをぶつけないように気をつけねばと思っていた
さて、エンジンをかけようとして私は黙りこんだ
鍵の差込口がない

後で気が付いたのだが、この業務車はキーレスエントリーシステム
しかも業務車は隣のグループから借りていたので、普段運転はしていない
私は当時はたまに自家用車を運転していたが、キーレスエントリーシステムではなかった

端的に言ってエンジンの始動方法がわからなかった
寒いのに、脂汗が滲んできた 寒い中お客さんが待っている 何とかせねば
焦りは募る
と、たまたま近くを若手の社員が通りかかった
恥を忍んで私はその社員に問うた
ごめん このクルマのエンジンどうやってかけるのか教えて

若手社員は、何言ってるんだこの人と言った表情でエンジンのかけ方を教えてくれた
たしかボタンを押すだけだった
予想外のタイムロス
お客さんは待っているだろう
少し急がねばと思い、クルマを車庫から出して事務所玄関に向かおうとしたところ、不快指数高めの音が左ドア付近から聞こえた
ガリッ

そう 
車庫の壁と業務車の左ドアを擦ってしまったのだ
車庫を出て左方向に向かおうとしていた瞬間だった
ほとんど泣きそうになり(いや泣いていたかも)ながら事務所玄関に着き、上司に遅刻の訳を話した
事務所から先は私ではなく上司が運転した

それから数時間後に大震災が発生した
東京に帰るはずだったお客さんは、空港で何泊かする羽目になった
私は、事故報告書を書くことになったが、事故の理由を何と書いたのだったか 憶えてない
エンジンのかけ方がわからなかったためと正直に書いても信じてもらえたのだろうか






(04:30)