昔の話
2019年02月18日

その高校は今は隣の高校と合併して、場所も名前も変わってしまった
ちなみに、私の出身小学校は廃校、中学校は名前が変わり存続している
で、高校時代の思ひ出
高校の1時限目が始まったのは何時だったか失念したが、始業前にはホームルームがあった
そのホームルームに間に合わない生徒、つまり遅刻した生徒は、正門のところで鬼の体育教官に捕えられ、正門付近のアスファルト道路の上で正座させられていた
男女を問わず
女子生徒の割合は少なかったと思うが
高校の正門の道を挟んだ前に、ある人の自宅があった
その人は中学時代の一つ上の先輩だったが、私の出身高校に入って一年留年し、一つ下の私たちの代の同級生となった
名前をTさんと言う
Tさんの自宅の玄関を出て、高校の正門まで走らなくても20秒もかからない
が、どういう訳か遅刻して正座させられている生徒の中によくTさんを見かけた
私の出身高校も今はないし、Tさんの自宅もない
お元気だろうか Tさん
(04:30)
2019年02月13日

そこへ行くのはほぼ20年振り
当時宿泊した宿とは違う所に泊ったが、20年前に泊った宿もまだ営業中だった
当時の記憶が蘇ってきた
私が今まで利用してきた宿の中で最も記憶に残っている宿は、20年前に泊った宿かも知れない
その宿はいくつかの泉質の異なる風呂を有していた
ホテルではなく旅館で、幾つかある浴場も一度に数十名が入れるような規模ではなく小規模なものだった
ある泉質の風呂に私も入ったが、そこは混浴だった
混浴ではあるが、湯気がもうもうと立ち込めていて、視界が悪かった
風呂の中で女性客の声がしたが、安心してほしい
視界が効かず、何も見えなかった マジで
たくさんの風呂があったのも印象に残った理由の一つではあるが、もっと決定的な理由がある
私が泊った部屋の近くに、湯治棟があった
客室は非常にシンプル 自炊場もあった
湯治という言葉は知っていたが、本当に湯治のニーズはあるのだと知った
自炊をして、好きな時に温泉に漬かり眠くなれば眠る
あとは本を読んだり、好きなことをして時間を潰す
湯治の効果が出るのは三泊以上経ってからと聞く
三泊以上酒を断って、自炊生活しかも温泉三昧の日々を過ごせば、どういう変化が起きるのか
パソコンとか携帯電話の類も持ち込まず、世間から隔離された日々を過ごしてみたい
当時は、湯治に対して憧れに近い感情を抱いたが、久々に見たその宿と、鄙びた温泉街の雰囲気が私の心を動かした
あ、今回泊った宿が悪かった訳では決してない
悪しからず
(04:30)
2019年02月12日

私は、自由席利用だったので出発の数時間前から出発駅のホームに並んでいた
時期はゴールデンウィーク 寒くはなかった
結構な混雑ぶりだった
並んでから数時間後、出発の時刻が近づき、何とか私は座席に座ることができた
あとは、座席に座ったまま、翌朝早く目的駅(執着駅ではない)に着くまで何とか尻の痛みに耐え、眠るだけ
と思った
私の乗った自由席車両は満席で、通路にも人が立っていた
立った人達は、あのまま眠ることなく夜を明かすのだろうかと思い、眠りにつこうと思ったその時
発車直前に車両に乗り込んできたため、当然立ち席しかなかった老夫婦がいた
おとなしく通路に立っていれば、たまに座席に座った人が席を替わってくれたかも知れない
夫人と思われる人はおとなしい人だったが、旦那らしき老人がイケナかった
列車が出発してから翌朝まで、ずっと大きな声で座席に座れなかったことについての恨みを語っている
そんなに坐りたければ、指定席を選ぶか、早い時間から自由席利用の客の列に座るべき
恨みを切々と語る旦那の横で、夫人は申し訳そうにしていた
私の席からそのボヤキ老人までは、10メートル程離れていたが、車内が明るいのと座席が固いのと、老人がうるさいのとで眠れなかった
老人の近くに座った人はもっと眠れなかったろう
老人は立ったまま、眠ることもなく一晩中呪いの言葉を吐いていた
夜中何時頃だったか、睡眠を妨害されていた男性客がついに爆発した
老人に負けない大声を張り上げて、「うるさくて眠れやしない 文句があるんだったら次の駅で降りて
どっかの宿に泊れ!」と老人をドヤしつけた
老人は、ドヤしつけられたのが効いたのか、すっかりおとなしくなった
数時間後、私が下車する駅の前の停車駅で夫婦揃って下車した
結局誰からも座席を譲ってもらうことなく
夫人は周囲に「すいませんでした」と詫びながら下車したが、老人の方は寝不足を感じさせないすがすがしい顔で悠然と下車して行った
この話、ブログには以前書いた気がするが、怒りが再びこみあげてきたのでまた書く
あの老人はもう鬼籍に入っていると思うが、どうなんだろう
一晩中どころか、死ぬまで(もう死んでるかも)「立ちっぱなしの地獄」に落ちてもらいたい
(04:30)
2019年02月11日
2019年02月09日

とは言え、日本でもまだ行ったことのない県が幾つかある
南から沖縄、四国四県、和歌山県、福井県、富山県
まだ人生を振り返る歳ではないと自分では思っているが、いままで泊ったことのある宿で印象に残っている所はどこかと考えてみた
料理と、展示してあった真空管アンプが印象的なあの宿
夏に泊ったのに冷房いらずだった雰囲気のあるあの宿なんかが浮かぶ
私が学生時代に行った観光地にある宿もなかなかだった
あれはゴールデンウィーク
奇跡的に予約できた宿に、律儀にも宿泊前夜に電話して「明日はよろしくお願いします」と言ったところ、宿の人の反応が悪い
しばらくして氷の回答があった
「あのぅ 宿泊は明後日で承っておりますが」
やってもうた 宿泊日を一日間違えていた
時期はゴールデンウィークなんで、今さら宿泊日の変更はできなかった
こりゃキャンセルしかないかなと諦めかかった時、宿の人から福音があった
「お料理はご用意できます お部屋は、別の部屋をご用意しますので、お越し下さい」
夜行列車を使い辿り着いた宿(私は鉄道好き)
小さめの部屋であっても寝られればいいやと思い、宿の人に案内してもらった部屋は、宿の従業員用の部屋だった
それも二段ベッド
大広間で他の客と夕食を食べて、私は宿の地下にある従業員用の部屋の二段ベッドで感慨に耽っていた
「狭くても、他の部屋の布団で寝たかった」
(04:30)